世田谷世田谷今昔物語

八幡山エリア - 船橋1

「船橋」の名の由来もはっきりしない。その昔、この界隈が湿地で沼や川に舟の橋を架けたことにちなむという説や、平将門の乱を平定したことで知られる藤原秀郷の子孫で船橋吉綱という武将がこの地に移り住んだからという説もある。この地域は大海からの入江とは考えにくい。鳥山川が流れ込む運河・江川を作って水田稲作をしたと考えられる。小さな筏(いかだ)のような小舟を泊めたのでこの地名が作られたのかも知れない。船橋は、鳥山用水を中心に古くから開けた農村だった。江戸期には、古船橋村と新船橋村に別れていた時期もある。

船橋1丁目

千歳船橋北口住宅地図
千歳船橋北口派出所

千歳船橋駅北口。昭和2年に開業し駅名旧千歳村の所在で、周辺に「船橋」が架けられていたことに由来する。当初は「船橋」とする予定であったが、すでに総武鉄道(現JR総武本線)千葉県で「船橋駅」を使用しており、誤認を防ぐために、「千歳船橋」とした。写真の右端にある交番は、現在も高架下にある。当時は船橋町で駅前には経堂町と船橋5丁目の飛び地があった。駅前でもほとんど民家や商店街だったが現在はビルやマンションに様変わりしている。

船橋1丁目2住宅地図

3番地にあった千歳旅館跡は郵便局。4番地の大蔵省世田谷船橋寮跡は公園になっている。

ドラマから

当時の「千歳旅館」が現:テレビ東京放送「おさな妻」20話(昭和46年2月12日)に映り込む。手前の魚屋や八百屋はマルイチ食品ストアーだったのだろうか?。電信柱の広告は当時も今も14番地にある「寿司清」。


船橋1丁目30住宅地図
社会福祉法人嬉泉

現:30番地の社会福祉法人嬉泉の福祉施設は変わらず。38番地の春光幼稚園は大きくなって健在だ。横線は道路を通す予定だったのだろう。


千歳船橋仲通り商店街

千歳船橋駅から少し離れたところにある「千歳船橋仲通り商店街」。現存する商店もあるが、ほとんどアパートなどになっている。

船橋2丁目

船橋2丁目25住宅地図

環八沿いの現:25番地は三菱商事(株)総合運動場だった。環八ができる前はテニスコートや野球場もあったかなり大きなものだった。現在は郵政宿舎。

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